みずみずしく甘酸っぱい果肉が口いっぱいに広がる。今年も大石の季節がやってきた。大石とは「大石早生(おおいしわせ)」のことで、このあたりでよく栽培されているスモモの一種である。実は淡い黄色で、皮は鮮やかな赤い色をしている。これを食べると夏はもうすぐそこだ。この時期になると毎年「ちょっとやけど食べて」と、大石を持ってきてくれていたSさんのことを思う。全然“ちょっと”なんかじゃない。これを普通は“どっさり”と言うのだ。
Sさんは農業を営み、梅、みかん、そしてスモモなどを栽培し、一年中忙しく元気に働いていた。古くからの夫のバイク友だちでもあり、夫がまだ少年の面影を漂わせたツーリング中の写真では、となりですっかり大人のSさんが微笑んでいた。
すらりとした痩せ型ながら肉体労働者とはっきりわかるたくましさも併せ持ち、日焼けした顔に、くるんと丸い愛嬌のある目が印象的な人だった。典型的なこのお百姓のおじさんはまた、ジャズをこよなく愛する人でもあった。
私が23歳くらいのとき、当時はまだ友だちであった夫とともにSさんの家に招かれ、愛藏のレコードを聴かせてもらった。おいしいコーヒーを飲みながら。スピーカーやアンプなどオーディオ機器にも凝っていたので多分ものすごくいい音だったのだろうが、私にはそれは理解できなかった。ただ田舎の一軒家でまわりは畑ばかりなので、夜遅くに大音量で音楽を聴いても近所迷惑にならないのがうらやましかった。
暗い店内で、目をつぶり自分の世界に入り込んだ人が頭をブンブン振りながら聴く音楽。コーヒーやお酒が似合う音楽。私にとってジャズのイメージはそんなもので、つまりちよっと近寄りがたい大人の世界を意味していた。
Sさんは多分初心者むけに聴きやすいものをセレクトしてかけてくれたのだと思う。スタンダードなジャズトリオ、スイングジャズなど都会の雰囲気ぷんぷんの曲が農家の一部屋に流れ、そこだけが異空間のような趣があった。
そんな中、私の胸にがつんと飛び込んできた歌声があった。それがローズマリー・クルーニーである。『家においでよ』は日本で江利チエミが歌ってあまりにも有名になってしまった彼女の代表曲だ。正統派のジャズボーカリストである彼女の歌声は情感たっぷり、のびやかで艶っぽく、私を虜にした。
中でも『カムズ・ラブ』という曲が大好きになった。嵐が来れば通り過ぎるのを待てばいいし、はしかになったら熱が下がって治まるのを待てばいい、だけど恋をした時だけはなすすべがない…そんなふうな歌詞だった。友だち、として済ませてしまえないほどの好意を夫に対して抱き始めていた私にとって、その歌詞は特別な意味を持って響いた。低いベースの音で始まるイントロもいいし、間奏で流れるトランペットやサックスもよかった。 ローズマリー・クルーニーと出会って私は少し大人になったような気がした。
Sさんは40代の頃から何度かガンを患い、ここ十数年はいつも病気と闘いながら明るく仕事をしていた。
数年前の夏、肝臓の具合が悪くなり入院することになった。ひとりで見舞いに行った私を、その日は調子がいいんだとベッドから起き上がったSさんが迎えてくれた。末期の肝臓ガンだと彼は言った。わずかな望みを持ちながらも覚悟を決めた、そんな表情だった。私は言葉が見つからず、すがるようにSさんの好きな音楽のことに話を向けた。
「ここでCDを聴けるように、プレイヤー持って来ましょうか」
彼は首を横に振り、「こんなところで聴いてもつまらん。音が違うから。家で聴きたいな」と静かに言った。薄っぺらなことしか言えなかった自分を私は悔いた。死を見据えた人の前で私はあまりにも無力だった。
その夜、寝る前に電気を消すと、時計の音がいつもの倍ほども大きく聞こえた。カチカチカチカチ…
そしてSさんの病室を思った。彼の耳にはきっと私以上に時計の針の音がはっきり聞こえているだろう。研ぎ澄まされた彼の胸に、心に、響くその音は命を刻む音なのだから。
それから間もなくSさんは逝ってしまった。今は奥様が農業を受け継ぎ、畑仕事に精を出している。ときどきメールをくださるのだが、このまえのメールにはこんなことが書かれていた。
「ずいぶん落ち着いてきたので、最近は主人の残したレコードを整理し、ときどき聴いているんですよ。京子さんの好きだと言っていたローズマリーさんの歌は“艶歌”ですね」
あの日、点滴をつけたままエレベーターのところまで見送ってくれたSさん。いつもと違って他人行儀にていねいに「ありがとうございました」と頭を下げた。それが私の見たSさんの最後の姿だが、今、スモモを食べながら甘酸っぱさとともによみがえるのは、その最後の表情ではなく、Sさんがいつも見せていた豪快な笑顔である。