大きな花

 芙蓉 
 アメリカ芙蓉の花が美しい。つぼみがふくらみ、次々と花を咲かせては夕方にはしおれてしまうのだが、この大輪は遠くからでも「おー」と目をひくような美しさだ。照りつける太陽の下で、この花が咲いていると夏を実感する。
 

チョウセンアサガオ
 
 少し前までどっさりと花を咲かせていたチョウセンアサガオも、黄色やサーモンピンクなどの色があり、きれいだった。ラッパのような形をしていて、上から垂れ下がって咲くが、これも花が大きい。庭のはしっこ、というより畑の一部に植えられているので広さは十分。大きな花たちものびのびと咲き、見ていても気持ちがいい。

アドベンチャーワールド

  昨日は一日が長かった。お昼を済ませてから、子ども会の遠足でアドベンチャーワールドに出発。


 きりん       らっこ
 

総勢55人。ナイト営業がこの日から始まるので、たっぷり9時まで遊べる。ケニア号に乗って動物を見たり、遊園地の乗り物で遊んだり…
   乗り物
 去年生まれた双子のパンダもずいぶん大きくなっていて、かわいかったなー。木の上で上手にすやすや眠ってた。イルカの夜のショーも照明や花火に彩られてきれいだったし、夕方からは涼しい風が吹いてきて、「今日はバスで来てるから飲めるね。カンパーイ」とご近所の人たちと冷たいビールを飲んだのも楽しかった。
 
 夏の夕暮れ、外で冷たいビールを飲み、そこに親しい人たちの笑顔があると「とりあえず平和だ」という気持ちになる。
 どこの家の子どもたちも、夏休みの絵日記に書くのだろうな。

暑い! 熱い!

水泳
クエ
 昨日は先週に引き続き、夜、講演に出かけた。大人の人たちばかりで落ち着いて話ができるのがとてもいい。ただ、帰りが遅くなるので、ちょっと疲れたかな。
 でも、疲れたとも言っていられず、今日は朝から子どもたちの校内水泳大会があり、2時間以上もプールで声援を送った。短期間で、ぐんと力をつけて泳げるようになった姿を見て、いつものごとくじわっと涙ぐんだ私だが、じわっときたのは涙だけでなく、汗もまた…。ほんとに暑かった。
 こんなに暑い日だというのに、夜、鍋をした。なぜかというと、釣ってきたクエをいただいたから。天然のクエなんてめったに食べられないので、これはもう鍋にするしかない。というわけで、暑い!熱い!と言いながらフーフーして食べた。
 おいしかったー。おなかいっぱい。食べ過ぎたかもしれないけれど、でも、暑いときに熱いものを食べるのはいいんだよね。これで、力をつけ、明日は炎天下、白浜アドベンチャーワールドに向かうのだ。

落ち着かない

 読書
 趣味は、と聞かれて、読書と答えるのはなんだか気恥ずかしいし、本当にこれは趣味と言えるのかなーとも思うけれど、でもいつも手近に何か読むものがないと落ち着かない。
 そばに本がない時は、農協だよりだって、市の広報誌だって、観光パンフレットだってなんだって構わない。とにかく活字に触れていたいのである。
 これはここ10日くらいで読んだ本。自分で買ったのは、電車待ちの時の「孤高の人」だけで、あとはすべて借り物。ベストセラーは気になりながらも、あまり手を出さないけれど「貸してあげるよ」と手渡されれば、やはり読む。軽いものなら何冊かを同時進行で読む。中にはおもしろいものもあり、ミーハー根性だからと敬遠していたことを反省することもある。
 子どもたちも夏休みの宿題に「読書」というのがあったけれど、うちでは宿題じゃなくても結構ふたりとも本を読んでいる。テレビをつけずに親子で別々の本に没頭する時間も私は好き。そう遠くない将来、娘とは同じ本で楽しみを共有することもできるだろう。
 さて、明日はどんな本と出会うか、楽しみ、楽しみ。

芋羊かん

  羊かん舟和
お友だちから、東京のおみやげをもらった。舟和の芋羊かん。なんとーも素朴な味である。これは芋です。芋だけで作ってます。と、はっきり主張する味なのである。そして、油断するとのどを詰まらせそうな感じ。
 私もたまに芋羊かんをうちで作るのだけど、いつも柔らかすぎて芋ペーストみたいになり、包丁で切れないので、スプーンですくって盛りつけて食べている。おいしいけれど、人に出すには見た目がよくない。舟和の芋羊かんと味はよく似てるなー、と思うけど。
 次回はもっと硬さを調節しましょ。
 どちらにしても、子どもたちはお芋大好きなので、大喜びで食べてくれる。舟和のも、あっという間になくなりました。ごちそうさま。
 
 

vol. 6 ああ、おばちゃんの勘違い

 ケガをして数年が経ったころ、同じ脊髄損傷の人の見舞いに行った。リハビリの先生を通じて事故にあった直後の彼を励まして欲しいと頼まれたのだった。
 私は少し躊躇した。見舞うタイミングのことを考えたのだ。受傷直後の心が揺れている人には、元気に生活する、自分と同じ障害を持つ人との出会いは、エネルギーにもなり得るがショックや絶望を与えることにもなり得るからだ。
 たぶん大丈夫だからと言われ、私は出かけた。ベッドに横になっていた彼は思っていたより落ち着いていたが、まだ車椅子を自由に操ることもできず、将来に対してのビジョンも持てていない。
私を見ると「あなたは強い人だ。ボクはそうはなれない」と、そう言った。
 私は強い人間なんかじゃない。あなたと同じように泣いてばかりいた。時間をかけて努力もして、一歩ずつ前に進んできたんだよ。今すぐは無理でも、いつか心の底から笑えるようになるよ。
私は自分がたどってきた道を振り返りながら言った。
 濃密な空気が満ちていたその部屋に、そのとき突然「はい、ごめんなさいよ」とそうじのおばちゃんが入ってきた。室内清掃の時間なのだった。部屋から出ようとする私を「そのままでいいよ」と制して、さっさとモップを動かし始めた。
すーっ、すーっとモップがけをしながら、おばちゃんは無邪気な顔で「あんたら、友だち?」と聞いた。
「いえ、今日会ったばかりです」
「ふーん」
さらにおばちゃんは私たちの顔を交互にジロジロと見つめた。
そして次に出てきた言葉は
「なあ、あんたら結婚したら」
 である。
「は?」
なんとも唐突である。
障害者どうしで結婚してる人だってたくさんいるから、がんばればいい。どっちも障害者なんだから一緒にいればわかりあえる。結婚できるなんて障害者にとってはありがたいことなのだ、というのが彼女の意見であった。
「うんうん、それがいい」とひとり納得して、満足そうに部屋を出ていった。
残された私たちはお互い、困ったねと顔を見合わせた。
 このおばちゃん、悪い人ではなさそうだが、大きな勘違いをして人の心に土足で踏み込んでいる。まず、障害者は障害者どうしいればいいという考え。「わかりあえるから」と言うが、そんなことはありえない。障害のあるなしに関らず、気の合う人、合わない人、好きな人、いやな奴、というのはいる。人間同士が理解しあえるかどうかに障害という要素は関係しないのである。
 次に結婚が幸せにつながる、さらに障害者は結婚できるだけでもありがたい、という考え。結婚するかどうかは個人の自由で、その人の人生の選択肢の一つに過ぎない。結婚を選ばず充実した幸せな人生を歩んでいる人はたくさんいるのだ。しかし、障害のある私たちが結婚をしない幸せや自由を選んだとしても、世間からは、「障害があるために結婚できないのよね。まー、かわいそう」という見られ方をするのだろう。なんとも単純でアホらしい考え方である。
 さて、私たちはそんな単純アホ思考につきあっている暇はない。そんなことに影響されて自分の選択を変えたりしない。世間の目なんて気にせず、自分の道を歩こう。
 それはそうとおばちゃん、部屋のゴミ、集めずそのままですよー。どうやら自分の考えに酔いしれた挙げ句、仕事を途中で忘れてしまったようだ。うーん。

いよいよ夏休み

 昨日は1学期の終業式。娘と息子から成績表をうやうやしく受け取り、「がんばったね」と声をかけた。二人とも欠席なしだったので、紙でできた大きなメダルももらってきた。それが結構うれしいみたい。
 さあ、今日から長い長い夏休みが始まる。ふたりが一日中いる!と考えるとちょっとオソロシイが、なんとか乗り切ろう。 
 ところで、夏休みと言っても、日直やラジオ体操や水泳に子ども会の行事、と学校からまったく離れてしまうことはない。親も長期の休暇をとってバカンスというような習慣のない日本では、まあダラダラしないでそれのほうがいいのかも知れない。
 さっそく今日も子ども会の廃品回収。朝は学校で折り紙教室。ということで、ではでは、行ってきます。

垢抜けてる??

アトラスオオカブト
アトラス タダのカブトカブトムシたち 
 お金を出して虫を買うなんて、私にはどうも納得できない。でもでも買ってしまったのだ。こんなものを。
 そもそもは…「今度のお祭りでヘラクレスオオカブト買ってもいい?」と息子が言い出したことに始まる。そんなの売ってるのだろうか。でも聞くところによると外国産のカブトムシはやはりお祭りで売られているらしい。「うーん、でも高いしなあ」しぶってロクロク返事もしなかったのだが、その夜、帰ってきた夫がパスッと一言。
 「祭りなんかで買ったら高いし、弱いぞ。そんなんよりコーナン(ホームセンター)で買え」
 この言葉に息子は躍り上がった。「買う買う買う買う。絶対買う」というわけで、仕方なく私がホームセンターなぞに行き、1300円も払ってカブトムシを買うことになってしまったのだ。
 そうしてわがやにやってきたのはアトラスオオカブト。息子は大喜びで、近所のお友だちに「見にきて」「見にきて」ばかり言っている。
 まあ、きれいと言えばきれいだが、うちに最初からいるたくさんの国産カブトムシやクワガタムシもちゃんと大事にしてほしいものだ。
 摘果に来ている例の豪快なおばちゃんは、けれど、このアトラスオオカブトを大いにほめてくれた。
 「なんとまぁーー。やっぱり、あちゃらモンのカブトは垢抜けたーるのぉー」
え?通訳いる?   外国産のカブトは垢抜けてる そうです。
 おばちゃんにほめてもらえたので、まあ、いいとするか。

もちろん溶けません

台風 台風が接近中で、ずーっと雨が降り続いている。この雨の中、うちではみかんの摘果作業が始まった。摘果とは、日に当たらない場所などになっている小さな実を間引き、収穫時の実の大きさを揃えるために欠かせない作業だ。
 今朝も、毎年手伝ってくれる親戚のおばちゃんがカッパを着込んでやってきた。70代も半ばだけれど、おばちゃんはとても元気。身軽にスルスルとみかんの木にのぼる。晩酌を欠かさず、スナックのカラオケで歌いまくり、早朝から畑でバリバリ仕事をする豪傑おばちゃんだ。
 雨が時折激しく降っていたので、玄関でおばちゃんを迎えた私は「おばちゃん、雨やけど、今日も摘果するん?」と聞いてしまった。
 「すらいらよー、姉はん。雨ら降っても溶けへんろ。何っともあるかいら」
(しますよ、お姉さん。雨など降っても溶けないでしょう。何ともないですよ)
 通訳のいる田辺弁でまくしたて、ハーッハッハッハッハーと笑った。
 さすが、元気だ。確かに、少々の酸性雨や毒液の雨だって、このおばちゃんを溶かすのは無理だろう。
 「朝、とってきたやつやから晩に食べよし」と、おばちゃんが持ってきてくれた、おばちゃんと同じく威勢のいい小松菜。そろそろあれを炊いて夕飯の準備にかかろう。

スモモとローズマリー・クルーニー

 みずみずしく甘酸っぱい果肉が口いっぱいに広がる。今年も大石の季節がやってきた。大石とは「大石早生(おおいしわせ)」のことで、このあたりでよく栽培されているスモモの一種である。実は淡い黄色で、皮は鮮やかな赤い色をしている。これを食べると夏はもうすぐそこだ。この時期になると毎年「ちょっとやけど食べて」と、大石を持ってきてくれていたSさんのことを思う。全然“ちょっと”なんかじゃない。これを普通は“どっさり”と言うのだ。
 Sさんは農業を営み、梅、みかん、そしてスモモなどを栽培し、一年中忙しく元気に働いていた。古くからの夫のバイク友だちでもあり、夫がまだ少年の面影を漂わせたツーリング中の写真では、となりですっかり大人のSさんが微笑んでいた。
 すらりとした痩せ型ながら肉体労働者とはっきりわかるたくましさも併せ持ち、日焼けした顔に、くるんと丸い愛嬌のある目が印象的な人だった。典型的なこのお百姓のおじさんはまた、ジャズをこよなく愛する人でもあった。
 私が23歳くらいのとき、当時はまだ友だちであった夫とともにSさんの家に招かれ、愛藏のレコードを聴かせてもらった。おいしいコーヒーを飲みながら。スピーカーやアンプなどオーディオ機器にも凝っていたので多分ものすごくいい音だったのだろうが、私にはそれは理解できなかった。ただ田舎の一軒家でまわりは畑ばかりなので、夜遅くに大音量で音楽を聴いても近所迷惑にならないのがうらやましかった。
 暗い店内で、目をつぶり自分の世界に入り込んだ人が頭をブンブン振りながら聴く音楽。コーヒーやお酒が似合う音楽。私にとってジャズのイメージはそんなもので、つまりちよっと近寄りがたい大人の世界を意味していた。
 Sさんは多分初心者むけに聴きやすいものをセレクトしてかけてくれたのだと思う。スタンダードなジャズトリオ、スイングジャズなど都会の雰囲気ぷんぷんの曲が農家の一部屋に流れ、そこだけが異空間のような趣があった。
 そんな中、私の胸にがつんと飛び込んできた歌声があった。それがローズマリー・クルーニーである。『家においでよ』は日本で江利チエミが歌ってあまりにも有名になってしまった彼女の代表曲だ。正統派のジャズボーカリストである彼女の歌声は情感たっぷり、のびやかで艶っぽく、私を虜にした。
 中でも『カムズ・ラブ』という曲が大好きになった。嵐が来れば通り過ぎるのを待てばいいし、はしかになったら熱が下がって治まるのを待てばいい、だけど恋をした時だけはなすすべがない…そんなふうな歌詞だった。友だち、として済ませてしまえないほどの好意を夫に対して抱き始めていた私にとって、その歌詞は特別な意味を持って響いた。低いベースの音で始まるイントロもいいし、間奏で流れるトランペットやサックスもよかった。 ローズマリー・クルーニーと出会って私は少し大人になったような気がした。

 Sさんは40代の頃から何度かガンを患い、ここ十数年はいつも病気と闘いながら明るく仕事をしていた。
 数年前の夏、肝臓の具合が悪くなり入院することになった。ひとりで見舞いに行った私を、その日は調子がいいんだとベッドから起き上がったSさんが迎えてくれた。末期の肝臓ガンだと彼は言った。わずかな望みを持ちながらも覚悟を決めた、そんな表情だった。私は言葉が見つからず、すがるようにSさんの好きな音楽のことに話を向けた。
「ここでCDを聴けるように、プレイヤー持って来ましょうか」
彼は首を横に振り、「こんなところで聴いてもつまらん。音が違うから。家で聴きたいな」と静かに言った。薄っぺらなことしか言えなかった自分を私は悔いた。死を見据えた人の前で私はあまりにも無力だった。
 その夜、寝る前に電気を消すと、時計の音がいつもの倍ほども大きく聞こえた。カチカチカチカチ…
そしてSさんの病室を思った。彼の耳にはきっと私以上に時計の針の音がはっきり聞こえているだろう。研ぎ澄まされた彼の胸に、心に、響くその音は命を刻む音なのだから。

 それから間もなくSさんは逝ってしまった。今は奥様が農業を受け継ぎ、畑仕事に精を出している。ときどきメールをくださるのだが、このまえのメールにはこんなことが書かれていた。
「ずいぶん落ち着いてきたので、最近は主人の残したレコードを整理し、ときどき聴いているんですよ。京子さんの好きだと言っていたローズマリーさんの歌は“艶歌”ですね」
 あの日、点滴をつけたままエレベーターのところまで見送ってくれたSさん。いつもと違って他人行儀にていねいに「ありがとうございました」と頭を下げた。それが私の見たSさんの最後の姿だが、今、スモモを食べながら甘酸っぱさとともによみがえるのは、その最後の表情ではなく、Sさんがいつも見せていた豪快な笑顔である。