誕生日おめでとう

 誕生日
 息子7歳の誕生日。朝起きるなり、今頃もう生まれてた?すぐ泣いた?おなかの中でしたオシッコとウンチはどうなった?などと質問攻め。
 それが済むと今度は早くケーキが食べたい。プレゼントを開けたい。とお願いばかり。
夜、お祝いをするまでに私はすっかり疲れてしまった。けれど、小さなケーキに火を点し、みんなで「かんぱーい」とグラスを合わせると、なにはともあれ、ここまで大きくなってくれてありがとう、という気持ちになった。
 うれしいとき、悲しいとき、悔しいとき、可笑しいとき… どんなときも感情をおもいっきり表す息子につきあうのはエネルギーがいるし大変だけれど、同時にそのストレートさがうらやましくもあり、単純でかわいいなあとも思う。
 子どもでいることの幸せを見せつけられているみたいな気がする。もうしばらくは、このしんどさと楽しさを味わわせてもらおう。
 誕生日、おめでとう。

前へ…

 海で

 Fさんのお通夜ではたくさんのカヌー仲間に出会えた。「こんな場所でなく川で、海で、笑ってまた会おう。そこでFさんの話をしよう」と、ある人は声に出して言い、ある人は心でつぶやいたに違いない。
 とても寂しくて、まだ受け入れるのは難しいけれど、日々の雑事は私をそんなにゆっくりはさせてくれない。
 ゆっくりだが、前へ進もう。

 
 子どもたちがやり終えた自由研究のヒモで綴じた。これで今度こそ完成。二学期はもう間近だ。
自由研究

お別れ

 私たちが訪ねた次の日にFさんが亡くなった。避けられないこととわかってはいたけれど、いざ現実になるとやはり辛い。
 今から準備してお通夜に出かける。今度こそ最後のお別れ。
 お別れ。でも多分しばしのお別れ。50年か、まちがいなく100年後にはみんなFさんと同じ場所にいる。天国なのか、宇宙の一部なのか、大きな川の流れの中なのかはわからないけれど。
「またね」と言ってこよう。

いのち

 昨日車を走らせFさんのお見舞いに行った。お見舞いといっても、ひたすら眠り続ける彼のベッドの傍らにいるだけだが…
 奥さんのフクちゃんは「この人ががんばってるあいだは私も付き合うわ。夫婦やから。で、こっちにいたいだけいて、逝きたくなったら逝ったらいいよと思ってる」と、明るく話してくれた。血圧が下がったり、もちなおしたりするたびに心は揺れているはずだけれど、ひっきりなしに訪れる友人たちに心を砕き、いつもどおりの笑顔を見せてくれるフクちゃんはすごい人だと思う。
 いのちの終わりを自分で思うとおりに演出できる人なんてほとんどいないと思う。Fさんの魂も「あれ、どうなってんの」と思っているかも知れない。けれど、こんなにも多くの人を動かし、気持ちをひとつにしているFさんを見ていると、眠ってはいるけれど、彼が、今までちゃんと生きてきたのだということがよくわかる。
 涙は出なかった。ただ、自分も、与えられた時間をちゃんと生きようと思った。

 

雨もまた良し

 読書

 午後3時ごろから雷とともに激しい雨が降る。ザァーッという音がまわりのすべての音を消し、なんだかすがすがしい気持ちになった。気づくと「いい雨や、いい雨や」と声に出していた。
 子どもたちが硬筆、毛筆の教室に行っている間、少し本を読んだ。遠い昔の人類の足跡をたどる旅、グレートジャーニーの関野吉晴さんの本。アラスカにこだわり続け、ワタリガラスの伝説を求めて旅した星野道夫さんの本。
 2冊のうち、途中まで読んでいる星野さんのほうを手に取った。静かに深く心に訴えてくる内容である。人の力の及ばないほどに激しく降る、こんな雨の中で読むのにふさわしい本だと思った。
 窓の外を見ると、灰色の雲が横たわり、空と海の境が消えていた。しばらくぼんやりしたあと、子どもたちを迎えにいくため車を出した。

紀美野町へ

 朝のうちに「かたつむりの研究」を完成させ、午後は講演のため紀美野町に向かう。
旧の野上町と美里町が合併してできたのだが、紀美野町という新しい名前は文字にして書いても、声に出して読んだときの響きも美しいと思う。
 合併後に、「その名前はないんじゃないの」とか、「いくらなんでもちょっと…」「うーん、いまいち」というようような新らしい町名、市の名前がついているところもあるが、ここ紀美野町は成功例ではないだろうか。
 今日はその町の小中学校8校合同の先生方の研修会に講師として招かれたのである。
夏休みの、こんな暑い日にも、子どもたちをよくしたい!という共通の思いで集まられる方々がたくさんいることに頭が下がる。少しでもお役に立てるよう、心をこめてお話させていただいた。
 それにしてもこのあたり、あまり来たことがなかったが、高原も牧場も温泉もキャンプ場も近くにある。今度は少し下調べをして涼しいときに来てみたいなと思った。

川はいい

川 ときおり、目が、体が、心が、こんな景色を欲しいという。川と山のある風景。
龍神村の(あ、今は村じゃなかった。合併して、わが田辺市になってしまってた)宮代オートキャンプ場でのデイキャンプに出かけた。もちろん、かなり人の手の入った自然なのではあるが、それでも、日々の暮らしの中にはない空気や川のせせらぎの中にいると、なんとも幸せな気持ちになる。
 こんな風景と子どもの笑う顔があると、「ああ、あとはたいして何にもいらないなあ」と思ってしまうのである。
 葉っぱの飾りスイカ割り
  いい一日。誘ってくれてありがとう。


 
 ブログって日記じゃん!そんなもん、人に見せてどうすんねん、と思っていたのだけれど、どんどん忘れまくっていた大切な毎日を、書くことでていねいに見つめなおすことができるようになったような気がする。「いい一日」と思える時間を重ねていきたいと思う。

つるつるっ

 うどんのばして

 4.5kgのうどん粉をこねた。まあざっと40人前くらいはあるのだが、30人ちょっとで平らげた。学校の子どもを集めて手打ちうどん作り!自分で企画したことだが、暑い中なので結構大変だった。 
 でもねー、コネコネ、コネコネ楽しいね。足でフミフミ、フミフミも楽しいね。最後は均一にするためパスタマシーンを使い、ニョロニョロ、ニョロニョロも楽しいよ。できあがったコシのある冷やしうどんは、もうホントにおいしかった。だしも手作り。
 子どもたちも「おいしい」と、おかわり続出で、おわんに4、5杯食べた子もいた。
たくさんのおかあさんたちが協力してくれたおかげ。ありがとう。
 うどんが粉からできるのだと初めて知ったり、こね方が上手でほめられたり、みんなで作る楽しさや大勢で食べる楽しさを味わったり…と、それぞれが違う形で思い出の引き出しにしまってくれたかな、と思う。
 
 好評につき、おかあさんたちからは「京子さん、次、何やる?」との声がすでに…。え?みんな、すごい。やる気マンマン。でも、ま、仕事も…
「う、うーん、もうちょっと待って」と答えたけれど、でも、そんなこと言いながら、また自分で、しんどい&楽しい企画を考えてしまうんだろうなー。

プール終了、あとは…

プール 親たちが交代で当番をする地区水泳が今日終わった。最終日の当番で出かけたが、もう暑くて暑くて。
 でも、水の色やそこに浮かぶ子どもたちの日焼けした顔、はしゃぐ声が好きなので、カランカランと終了の鐘を鳴らすと寂しい気持ちになった。またひとつ“夏”が終わってしまう。
 けれど、感傷にひたっているヒマはない。私にはまだたっぷりと“夏”気分を味わえる自由研究がのこっているではないか。
 はっきり言おう。あれは親の宿題。親の研究である。
 息子の『野菜のヘタの研究』はどうにか終わり、今は娘の『カタツムリの研究』にとりかかっている。
 離れたクレヨンからクレヨンにうまく移る様子や、カッターナイフの上を怪我もせず歩く様子を観察中。カタツムリ
「今いいとこやから早く撮って」「あー、ピントが合わん」「あっ、変な方向へ這い出した」「早く撮らんからやっ」
 娘とふたり、撮影がうまくいかないうえに暑さも加わり、イライラは増し、それでもどうにか折り合いをつけながら進める自由研究。首にはタオルを巻き、汗をダラダラ流しながら。これこそ夏の風物詩!もうしばらく“夏”を味わわせてもらえそうだ。

お盆休み

 仏壇にお供え物をしてお墓参りをして、ご先祖さまをお迎えする。命、魂などのことをいつもより身近に感じられるこの時期。今年はよけいにその思いが強い。
 先週の木曜日まで元気だったのに、まもなくユーコンの川旅に出かけるはずだったのに、今は生と死のあいだをさまよい、眠ったままの友人Fさん。
 あなたの心は今どこにあるのだろう。6月一緒にカヌーに出かけ「またね」って手をふって別れたのに…
 あなたは今どんな夢を見ているのだろう。
 一緒に見たスプルースの森や川の色を思い出す。
 川の流れをとめられないように、人は人の生死に対し何もできない。無力で、ちっぽけで。
 ただただ謙虚でありたいと思う。大きなものの力の前で、畏れることと感謝することを忘れないでいたいと思う。
 今朝は、子どもたちが「おはよう」と寝床から起き出してきただけで、涙が出るくらいうれしかった。